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【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来

『首都の被爆者運動史 東友会25年のあゆみ』(伊東壯執筆)から

第10回 東友会再建へ1――臨場感ある事務局員の手紙

 1963(昭和38)年12月8日、東友会の命運をかけた理事会が開かれた。出席者13人、文書による意見提出1人だった。行宗一代表理事から「解散」の議が出され、激しい討論がおこなわれた結果、全会一致で「存続」を決定し、東友会の財政逼迫に対応して、緊急カンパを各会(各地区の会)が募ることとした。役員たちは東友会のもつ意義への自覚とそれへの責任をあらためて確認したのであった。
 だが、再建への道は決して容易ではなかった。こうした事情は1964(昭和39)年2月4日付けで小島利一事務局長にあてた尾島愛子事務局員の手紙が雄弁に物語っている。
 東京都の委託事業契約に関し、年度替わりの時期までに東友会の今後の体制をはっきりさせることが急がれているなかで、次のような状況が綴られている。

(1月)23日は(都衛生局医務課の)業務係からよばれて、(東友会の)規約について、理事長制にして責任をはっきりした方が(よい)とか(規約の)中の言葉にまで助言を受けて来ました。(委託事業の)予算申請に効果的な東友会の資料も少なく、事業委託を受け入れる体制に(東友)会があるのか等(に)何かあいまいな印象が(都に)あって、医務部はまあまあとしても、総務部、財政局あたりではひっかかるというのです。
 いったん都から何かの目的でお金が出たら、余程のことがない限り中止にはならないが、(その代わり)はっきりした会の体制も要求されてくるというわけです。
 (昨年)12月8日、東友会の存続について伊東氏のよびかけで集まった(理事)会で、解散は一応反対でも今後の運営をどのようにという段になると先へは進みません。
 例年あった日本被団協からの組織援助費も(前借りしてしまいましたが)東京原水協からの救援金もいまのところまだです。これは前に窮状を訴えてくれれば(東京原水協の)理事会にかけるといわれましたが、現在の原水協のあり方から、要請は好ましくないという役員もありました。
 都からの事業費は、第3四半期分については、刊行物を報告書につけるだけで作成し、全員には発送しませんでしたから残りましたものの、経済面だけでいえばむしろ負担になります。内容的にいっても、この状態のままでは無意味になりそうな気がします。
 あとは事業ですが、悪い面ばかり見ないで少しでも組織・財政を立て直したいということになりました。
 財政悪化のため、暮れに各地区組織から緊急カンパを集めましたが、結果的には私が全部頂くことになって(東友編集部による補足:給与として支払われた)、北区の大久保氏からご自分の生死にかかわる問題から、カンパは出せなくなりましたなどとお聞きしますと、私、何ですか申し訳ないような気持ちです。
 (2月)7日夜。常任理事会があります。各役員も2、3年前と違って、どうも会活動への時間がなくてとおっしゃってますが、せっかくの集まりに、可能な会の方針が決まるとよいと思います。遠くにおられる先生(東友編集部による補足:小島利一氏のこと)に悲観的なことを申し上げて、申し訳ございません。 かしこ